僕は近所の公立の中学校に進学した。
小学生のときに、父親から、
「良い大学に行けば、良い人生が送れるぞ」
「その先の人生ずっと安泰なんだ」
「だから、大学受験まで。大学受験までは勉強を頑張るんだ」
という洗脳を僕は受けていたため、それなりには勉強に励んだ。
しかし、洗脳による勉強のため、勉強に対する自分の感情はなかった。
「勉強をしなければ生きていけない。」
この気持ちだけが、僕を机へと向かわせていた。
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母親からも、
「勉強をしなさい」
「また休憩?勉強はいいの?」
と毎日のように言われた。
この頃はちょうど反抗期で、
「勉強をしなければ、学歴がなければ生きていけない。」
とは思いつつも、そんな母親の言葉がうざったく感じて、イヤイヤ勉強をしていた。
また、父親は他市への転勤が決まっており、単身赴任をすることになっていた。
父親の目もなかったため、
「勉強をしなければ」
という緊張感もそこまでは生まれなかった。
僕は180人近くいた中で、順位はいつも60位〜80位くらい。
真ん中よりちょい上?くらいの成績だった。
そんな僕に、
「はぁ。また50位にも入らないの?」
という容赦のない言葉が、母親から浴びせられる。
「うるさい。」
とは言いつつも、自らの成績に絶望している自分もいた。
イヤイヤながらも、それなりには勉強をしていたから、50位以内にも入れない自分の成績には正直、絶望していた。
テストの度に毎回絶望して、頑張って勉強するけど、また同じような順位。
それで勉強をするけど、また同じような順位。
というあまりに残念なループを繰り返すうちに、気づけば中学3年生になっていた。
親からは、
「公立の高校であれば、A高校かR高校に行きなさい」
「それがダメなら私立の高校に通いなさい」
と言われていた。
しかし、それはあまりに無謀すぎる挑戦を意味していた。
A高校は県内で1番偏差値の高い高校で、中学校内でコンスタントに20位以内。
R高校も県内で5本の指に入る高校で、中学校内でコンスタントに40位以内。
に入っていなければ、合格するのは難しいと言われていたからだ。
残念なことに僕は40位以内に入ったことは、1度たりともなかった。
公立高校に受からなければダメといった雰囲気が、塾内や友達の間であったため、
「なんとかしてR高校には合格したい。」
そんな思いがいつしか、僕の中では生まれるようになった。
しかし、それまでそれなりに勉強を続けていて、60位〜80位くらい。
それなりに勉強して60位〜80位だから、ここから成績を伸ばすのはけっこう厳しい。
そして高校3年生になってから、初めての模試を7月に向かえることになる。
判定は・・・
D判定。
合格可能性は20%〜40%。
努力圏だ。
しかも、あと1偏差値が低かったら、E判定という絶望的な状況。
親からの命令で、志望校を下げられない僕にとっては、これはかなりダメージを受けた。
前回の記事でも書いたように、僕は何をするのにも不器用な人間。
ちょっとだけ得意な数学。
気合いで点をもぎ取れる理科と社会。
3つの科目で、得点を死守する。
英語は一番の苦手科目。
僕:「マジで意味わからん。何で未来系はwillなの?」
先生:「決まりだから覚えろ!」
こんなやり取りがいつも塾では行われ、先生を困らせたものだった。
これはまた後の話になるが、この英語という科目には中学生の時はもちろん、高校生になってからも悩ませられることになる。
流石にヤバいと感じた僕は、とにかくガムシャラに勉強をすることにした。
勉強方法なんて知らない。
とにかく問題を解く。
それだけに徹した。
その結果、英語や国語は全然伸びなかったが、数学はちょっと伸びた。
そして、理科と社会は覚えればよいだけだから、だいぶ伸びた。
7月は偏差値が58だったのが、
8月には59。
9月には60。
10月には62。
11月には62。
12月には64。
12月に初めてB高校がB判定になった。
この時ばかりは、自分の努力が報われた気がして嬉しかった。
そこで、勉強の手を緩めたわけはなかったが、気が緩んだのか偏差値は急落してしまう。
1月には偏差値が61になり、
2月の最後の模試では、
58
になってしまった。
絶望した。
D判定。あと偏差値1低かったらE判定。
頭の中が真っ白になって、顔が青ざめた。
僕はすごく周りの目を気にする人間だったので、塾の友達や塾の先生など、周りの人間に落ちたと報告するのがとにかく嫌だった。
あとは塾の友達と同じ高校に行きたいという思いもあった。
だから、なんとしても県立高校に合格したかった。
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また、
落ちたら負け。人生に負ける。これで一生が決まる。
そんなように考えるまで、父親の洗脳は僕に効いていた。
志望校は下げられない。
R高校に挑戦するしか道はなかった。
模試の過去問や入試問題の過去問を解いていると、気づけば入試本番になっていた。
確か、すごく緊張したのを覚えている。
僕らの年の試験は難化して、全然分からない問題もたくさんあった。
それでも焦らず、一問一問冷静に解いた。
手応え的には、悪くはなかった。
そして、運命の合格発表日。
なんと合格していた。
”中学校内でコンスタントに40位以内に入っていなければ、合格するのが厳しい”
と言われているR高校に、40位以内に1度も入ることがなかった僕が合格してしまった。
事実として、僕より頭の良かった友達がたくさん落ちた。
これは試験が難化したことが大きく関係していると思う。
試験が難化すると、頭の中が真っ白になってしまう人が多くいる。
それで間違いの連鎖を引き起こしてしまう。
しかし、僕は頭が真っ白にならなかった。
常に落ち着いていられた。
だから受かったと思っている。
ちなみに、得点開示をすると、少し得意な数学でさえも半分ちょいしか点数を取れていなかった。
英語も国語も苦手だから、半分ちょいしか得点できず。
理科と社会で点数を稼いで、ギリギリ合格といった感じだった。
試験当日は、国数英の出来が悪かったが、一切気にせず理科と社会の試験に臨むことができた。
その結果として、理科と社会で得点を稼ぐことができた。
理科と社会をゴリゴリ暗記した成果を、試験本番でも発揮することができたのだ。
そして、僕はR高校に通うことになった。
次は高校生になってからの話だ。
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