今から13000年前から2300年前まで、およそ1万年間も続いた縄文時代。
縄文時代といえば、貝やドングリを食べて自給自足生活をしながらゆる~く暮らしていた、いわゆる「原始人」的なイメージがありますよね。
そのせいか、「縄文時代に戦争はなかった」「縄文時代は平和な時代だった」とよくいわれます。
本当に縄文時代には争いや戦争はなかったのか?また、なぜ争いが起こらなかったのか?
その理由をまとめてみました。
スポンサーリンク
縄文時代は争いがなく平和な時代だった?
縄文時代は平和な時代だった。
結論として、これは間違いありません。
岡山大学と山口大学の共同研究によると、「縄文時代における暴力での死亡率はわずか1.8%である」との研究結果があります。
(参考URL:https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id383.html)
これの研究は全国の縄文時代の遺跡242か所から2582点の人骨を収集し、暴力での死亡率を算出したものですが、暴力の痕跡があったのはわずか23点でした。
この結果は、他国や他の時代に比べると5分の1の割合だとか。
「縄文時代は世界一平和な時代だった」という説があるのも納得ですね。
全国各地に縄文時代の大規模な遺跡が見つかっていますが、そのほとんどに争いの形跡はなく、数千年単位で平和な時代が続いていました。
戦争は「武力(武器)を伴った集団間の争い」と定義付けられています。
矢が刺さった傷がある人骨は縄文時代の遺跡でも発見されていますが、そのほとんどが致命傷ではありません。
この傷が事故によるものなのか、戦争によるものなのか。それははっきりしていないようです。
戦争がなく格差のない縄文人社会
なぜ縄文人はこれほど平和に暮らすことができたのでしょうか。
大きな理由は2つあります。
ひとつは、「定住した」こと。
縄文時代の前、旧石器時代の食料調達は狩猟がメインでした。獲物を追って人々も住処を転々としたため、一か所で暮らすことはできません。
一方、縄文時代の人々は主に植物採集や漁をして食料を確保するため、森や川、海などの近くで定住を始めました。
定住することで食料を貯蔵でき、飢えることなく暮らせるようになりました。
もうひとつは、「土地を所有しない」こと。
縄文人は定住しても現代のように土地を所有するという概念がなく、場所にしばられることはありませんでした。
森や川、海など自然の恵みは日々の食料としていただくだけで、自分たちのものではないという考えでした。
「ここは食料がとれなくなった」「もっといい場所を見つけた」となれば、集落ごと別の土地に移っていたようです。
集落ごと引っ越しをするとなると、他の集落との争いが生まれそうですが当時の日本の人口は20万人程度でした。
人口が減少しつつある現代日本でも人口はまだ1億人以上。20万人といえば、現代の地方都市でも中規模程度の人口しかありません。
集落ごと点々としても、他の集落との縄張りは重ならず、問題なく暮らせたでしょう。
縄文人が争うとき
先述したとおり、平和な縄文時代でも暴力での死亡率はゼロではありません。
では、縄文人はどんなときに争ったのでしょうか。
縄文時代の戦争の原因は、やはり「食料」であると考えられています。
一か所で定住し、自然の恵みで暮らした縄文人ですが、雨が降らなかったり人口が急に増えたりすると集落の食料が足りなくなってしまいますよね。
すると、平和主義な縄文人たちも、「自分たちが生きるために他の集落から食料を奪いたい」、「より豊かな森を奪いたい」といった物騒な考えにいたるかもしれません。
とはいえ、致命傷とみられる傷がある人骨はほとんど見つかっていないので、縄文時代に起こったのは大規模な戦争ではなく、個人や集落同士のちょっとした小競り合い程度の争いであったと考えられます。
日本最古の戦争の痕跡
日本人が本格的に戦争を始めたのは弥生時代からといわれ、これは研究結果として結論付けられています。
弥生時代の戦争のきっかけは「稲作」。
米を作るためには土地を開墾しなければならず、後に「畑を所有する」という概念が生まれました。
縄文時代よりも安定して食料が供給されることで人口も劇的に増え、畑を持つ者と持たない者、縄文時代にはなかった「格差」が生まれます。
縄文時代晩期の紀元前2800年から2500年前の遺跡(高知県土佐市/居徳遺跡群)では金属器によるダメージを受けた人骨が数体発見されていて、これは「国内最古の集団同士の戦闘行為の痕跡」と結論付けられています。
縄文時代から弥生時代への移行は、年表で見るようにいきなり切り替わるわけではありません。
少しずつ古代の人々の生活習慣や文化が変わっていく過程で、より大規模な戦争が行われるようになったのでしょう。
しかし、縄文時代は1万年もの長い間続きました。その大部分は本当に平和な時代だった、と考えてよさそうです。
まとめ
世界一平和な時代だった、とまでいわれる縄文時代。
縄文時代の人々は森や川、海などから得られる自然の恵みで暮らし、集落で協力して生活をしていました。
縄文時代の遺跡を調査しても戦闘の傷によって死亡したとみられる人骨はほとんど見つからず、平和な時代だったのは間違いありません。
1万年続いた縄文時代から弥生時代へと移行する過程で、何らかの理由によって人々は争うようになったとみられます。
大学のパンフレットと図書カードが今月なら無料で手に入る!
今月限定で大学のパンフレットと図書カードが同時に無料で手に入り、しかも今なら1000円分も貰えちゃいます。
これはぶっちゃけ相当なレベルでオススメです。
なぜそんなにもオススメなのか?について解説をしたので、まずは1度以下の記事に目を通してみてください。
→ヤバすぎる!スタディサプリの大学の資料請求は紹介したくないレベルでおすすめ!
スポンサーリンク