縄文時代の服装を男性と女性別に解説!名前や特徴についても!

生活に欠かせない「衣食住」の3つの要素、それは現代も縄文時代も変わりません。

縄文時代の遺跡からは土器や生活の道具、住居跡など「食」と「住」にまつわるさまざまなものが発掘されていますが、残念ながら「衣」に関してはほとんど発見されていません。

高温多湿の日本では繊維は腐ってしまうため、長期間保存することが難しいためです。

それでも、土器や人骨などに残ったわずかな繊維のかけらから、縄文時代にも服があったことは証明されています。

今回は気になる縄文時代のファッションについて解説します!

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縄文時代の服装とは?

縄文時代の服装というと、毛皮で作った腰ミノを身に着けた「原始人」のイメージがあるかもしれませんね。

縄文時代の人々はシカやイノシシを狩っていたので、肉を食べた後は確かに毛皮も活用していました。

ただし、毛皮は冬場の防寒具限定の素材です。現代でも東北地方の「マタギ」と呼ばれる狩人、は動物の毛皮でベストや靴を作って冬の山へ入ります。

縄文人は意外とおしゃれで、季節によってさまざまなファッションを使い分けていたようです。着るものの素材もさまざまで、麻やコウゾ、カラムシなどの草木の薄皮から布を作り、これが縄文時代の普段着でした。

縄文人はゴザやスダレを作るように布を編んでいたと考えられていて、現代の布とそれほど変わりはありません。この技法は「アンギン編み」と呼ばれ、新潟県では現代にも伝わっている古典的な編み方です。

縄文時代には現代の服作りのように型紙やミシンがあったわけではないので、服の形としてはそれほどバリエーションがありません。

「貫頭衣(かんとうい)」と呼ばれるタイプの、大きな布を2つ折りにして真ん中に穴を開けて頭を通し、腰のあたりを紐で結ぶ簡易的な服が主流です。

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縄文時代のメンズファッション、レディースファッション

現代では大きく分けて男性向けの「メンズ服」、女性向けの「レディース服」、子供向けの「キッズ服」という分類がありますが、縄文時代にもこのような分類はあったのでしょうか。

結論から言ってしまうと、男性については完全な形での服が見つかっていないのでどのような服を着ていたのかは不明です。

推測する材料がほとんどないメンズファッションに比べると、女性のファッションについては重要なヒントがあります。

それが、当時の女性を現わしたとされる「土偶」です!

デフォルメされすぎてわかりにくいですが、土偶の服装をよく見るとワンピースやスカートのような形状ではなく、ツーピースでボトムは完全にパンツスタイルです。

ただし、これが当時の女性の普段着だったのか、祭礼用の特別な服だったのかは判断ができません。

土偶には頭部に不思議な突起があるので、当時の女性はお団子ヘアのように髪をまとめていた可能性があります。

髪をまとめるためにシカの角をヘアピンのように使っていたといわれ、遺跡から発掘もされています。

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縄文人のアクセサリー事情

縄文時代後期から晩期には耳飾りや腕輪などのアクセサリーがたくさん出土しています。

耳飾り(イヤリング・ピアス)、首飾り(ネックレス)、腕飾り(ブレスレット)、くし、ヘアピン、腰飾り(ベルト)、足飾り(アンクレット)など、現代にあるアクセサリーは縄文時代にはすでにありました。

やっぱり、縄文人はおしゃれですね!

アクセサリーの素材もさまざま。

ヒスイ、水晶、コハクなど現代でも宝石として人気のきれいな石。木や粘土、貝など自然の素材。動物の骨や牙、ツノなども装飾品として利用されました。

服装については男女差がわかりませんが、アクセサリーについては男性が身に着けたもの、女性が身に着けた物が分かっています。

男性のアクセサリー

  • ヒスイの腰飾り
  • シカの角の腰飾り

女性のアクセサリー

  • 耳飾り
  • 二枚貝の腕輪

この男女差は単なるおしゃれではなく、服装のバリエーションが少ない代わりにアクセサリーで性別や身分を区別していたと考えられます。

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縄文時代のトレンド!勾玉ブーム

縄文時代のアクセサリーといえば、「勾玉(まがたま)」も重要です。

勾玉は動物の犬歯を模して作られたといわれるもの。当時はクマやイノシシ、シカ、オオカミ、サメなどの力強い動物の骨を身に着けることでその力を得られると信じられていたので、勾玉を身に着けるのは宗教的・信仰的な意味合いが強いと考えられています。

勾玉は穴を開けてアクセサリーとして身に着けていたので、「狩猟の成功を祈願して身に着けていた」という説もあります。

当初は本物の動物の牙に穴を開けたものをアクセサリーとして身に着けていましたが、後に石やガラスなどで代用されるようになりました。

勾玉は縄文時代から弥生時代にかけて長期間流行し、素材は主にヒスイが使われていました。

ヒスイは限られた場所からしか取れないものなので、新潟産のヒスイが北海道から鹿児島まで全国各地に運ばれていたことがわかっています。

遠くからわざわざ取り寄せた貴重なものなので、やはりおしゃれのためではなく、身分の高い人が宗教的・信仰的な意味で身に着けていたようですね。

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まとめ

縄文時代の服装については完全な形で衣服が発見されていないため、残念ながら詳しいことは分かっていません。

それでも、発掘された人骨などから植物の繊維から作った服を身に着けていたことは判明しています。

現代のようにファッションに男女差があったのかも不明な点が多いですが、女性に関しては土偶の服装がヒントになります。

服装よりもアクセサリーのほうが形や素材のバリエーションがはるかに多く、縄文人にとってとても重要なものだったようです。

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